盛田幸希の妻・倫子が脳腫瘍の闘病生活と現在を告白!ノートに綴られた感動の言葉!

   

盛田幸妃

2016.12.23【爆報THEフライデー】で

プロ野球選手、盛田幸希(改名前の名前は幸妃:読みは同じ)の妻・倫子(ともこ)さんが

壮絶な晩年をテレビ初激白されました。

そして、盛田さんが残した感動のノート。

セレブ夫婦の知られざる苦悩は想像を絶するもので、倫子さんの強さ、盛田さんの妻を想う気持ちに涙が溢れます。

 

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盛田 幸希(もりたこうき)

 

生年月日:1969年11月21日

国  籍:日本

出 身 地 :北海道茅部郡鹿部町

身  長:186 cm

体  重:89 kg

選手情報:右投右打

ポジション:投手

プロ入り:1987年 ドラフト1位

初 出 場 :1988年5月21日

最終出場:2002年10月6日

 

現役時代の盛田さん

ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現在の横浜ベイスターズ)に入団

中継ぎ投手として活躍されました

1998年近鉄バファローズに移籍開幕から大活躍。

とても気の強いプレースタイルを取る選手として有名でした。

 

 

妻・倫子(ともこ)さん

1967年に兵庫県神戸市生まれ

名門女子大学に通う箱入り娘

大学性時代は自動車メーカーのキャンペーンガールをされていて

大学卒業後はJALの国際線のCAとして世界を飛び回る日々を送っていました

 

1992年盛田幸妃さんと倫子さんは出会いました。

盛田幸希さん22歳、倫子さん24歳の時です。

出会いから3年、二人は結婚します。

正に、野球もプライベートも順風満帆で、こんな幸せがずっと続くと思われましたが・・・

 

脳腫瘍発症

病気のはじまり

結婚からわずか3年・・・

1998年近鉄バファローズに移籍し、開幕から大活躍をしていた矢先

突然の異変・・・

 

ある夜、二人でベッドで眠っていると

ガタガタと地震のような揺れを感じて目をさますのです。

それは何と、

隣で寝ている盛田の右足が痙攣を起こしガタガタとベットを揺らしていたのです。

 

『少し前から時々こうなるんだ・・・』

 

病院で診察を受けると

ゴルフボール大の脳腫瘍を患っていることが分かります・・・

腫瘍は、脳の運動を司る部分を圧迫し

盛田の右足に異常を引き起こしていたのです・・・

 

医者からは

『手術をしても野球が出来るか保証は出来ない』

『最悪、一生車椅子になると思ってください』と宣告を受けます。

 

頭部を開き、腫瘍を取り除く12時間に及ぶ手術は成功!

 

しかし右腕が動かない後遺症が残ってしまいました。

盛田さんは

『こんな右手はいらない切ってくれ!』

と自らの腕を壁にぶつけ、痛めつけた事もあったそうです。

しかし、妻、倫子が一番辛かったのは、

薬で朦朧とした盛田さんが呟く言葉・・・

『死ねる薬をくれ・・・』

 

しかし、倫子さんはそれでも前向きでした。

『言われる方も辛いのですが、本人が一番辛いのだから

落ち込んでいる場合じゃない。』

 

倫子さんは、盛田と結婚した時に心に決めていた事があったと、告白してくれています。

 

それは、

『何があっても絶対泣かない』

野球選手の妻になると決めた時の大きな覚悟でした。

 

動かない右腕

倫子さんは、根気強くリハビリを促し、

励まされ続けた盛田は、持ち前の根性でリハビリに取り組みだします。

 

リハビリを初めて7ヶ月・・・

 

脳腫瘍の大手術から1年・・・

 

 

 

なんと、盛田幸希選手は、

マウンドに復帰するのです!

 

観客席から涙しながら見守る倫子さんの姿に、私も涙が溢れました・・・

 

そんな盛田幸希選手のことを皆は

【奇跡のリリーバー】と呼びました。

 

当時の盛田選手の言葉・・・

『精神的には嫁さんにはきつい思いをさせました。頑張りたい・・・』

 

本当の戦いが始まる

しかし地獄はここからだったのです。

 

プロ復帰から3年後、惜しまれつつも現役を引退。

ラジオ等で野球解説をしながら、

第二の人生を考えていた矢先の

2005年、盛田36歳、倫子38歳の時・・・

 

再び・・・・

 

盛田は、突然、風呂場で卒倒し病院へ運ばれます。

 

脳腫瘍が再発している・・・

 

 

最初の手術で腫瘍が脳の大動脈に絡みついていた為、

無理に取り除くと脳内出血を起こすので、全ては摘出できなかったのです。

 

二度目の腫瘍摘出手術

 

麻痺した身体を動かすリハビリの繰り返し

 

身体が回復してきた時

再々発を告げられます・・・

 

3度目の手術

リハビリ・・・

 

 

しかし、

三度目の再発がみられます・・・

『もう、うんざりだ!』

盛田さんの精神はすでに限界を迎えているかのように感じました。

 

転移・・・

その後、癌が骨にまで転移し

恐ろしい症状がおきはじめます。

 

骨を形成する細胞のバランスが崩れ

カルシウムがとけて骨折しやすい状態になるそうで、

日常生活の何気ない事で骨折を繰り返します

 

右腕骨折

腰骨折

左腕骨折

右足骨折

と、次々と骨折を繰り返し、9箇所にも及びました。

 

 

全身の骨折箇所に金属の補強がなされ、

自分の骨が減っていくのをみて、倫子さんは『夫が壊れて行く』と思ったそうです。

 

それでも(何があっても泣かない。笑顔でいなきゃ)と自分を奮い起こし

『私がアナタの手足になるから大丈夫!』

『骨折なんて治せばいいのよ!』

幸いにも、脳から腫瘍転移を繰り返していましたが、内蔵には転移がなかったのです。

 

何度骨折を繰り返そうと、骨によい食事を食べさせ

懸命に車椅子を押し、大きな体を支え風呂に入れる生活を続けました。

 

 

その時の気持を倫子さんはこのように語っています。

『骨だから不自由だけど、命までは取られない・・・そこが励みになった』

 

 

しかし、最悪の事態を告げられます

 

2014年7月

肝臓への転移を告げられ、もう手の施しようが無いと・・・

肝臓の腫瘍は無数に発生し、手術や放射線治療も施せないと・・・

 

 

発症から18年、

弱音を吐かず、病気が治ることだけを信じ、慰め、手足となり支え続けた倫子さんは、希望が絶たれた瞬間

 

医師と盛田さんの前で泣き崩れました。

 

『我慢しようとしたんだけど・・その時はダメでした・・』

悲しみが一気に溢れ、耐え続けた涙は堰(セキ)を切ったように流れ出していました。

 

 

宣告から1年

2015年10月16日45歳で永眠

 

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現在の倫子さん

現在、妻・倫子さん(49歳)は横浜市内のマンションで一人暮らしをされています。

医療費の為、一軒家を売り、夫の事を思って選んだバリヤフリーのマンション。

穏やかなオーラを放ち、今もとても美しい。

週に4回、銀座のお寿司屋さんで夜、中居として終電まで働いています。

 

夫の死から1年・・・

 

『去年はやることが多くて、実感できなかった・・・今の方が寂しい』

と、我慢し続けた涙を流しながら語って下さいました。

 

 

夫の残した誰も知らないノート

悲しみの中、遺品の整理をしていた時、一冊のノートが見つかります。

盛田が闘病中に書き綴ったノートは、倫子さんにすら内緒の物でした。

 

中に記された内容は・・・

倫子さんとの第二の人生を歩む為の夢。

 

居酒屋の開店計画が綴られていたのです・・・

それも、宣伝方法や店舗デザイン、メニュー、想定客単価まで、こと細かく記されていました。

 

盛田さんは常に倫子さんを想い、未来を諦めていなかったのです。

 

 

そしてノートの最後のページに書かれていた言葉が

現在も倫子さんを励まし続けています。

 

『【大変】とは大きく変える。変わるチャンスがある』

 

どんなに大変な事があっても最後まで諦める事無く、戦った盛田さんの言葉は

悲しみに暮れる倫子さんを再び前に向かせました。

 

『主人の分まで生きる』それが目標ですと語る倫子さんには、現在夢があります。

『東京五輪で、夫のような戦うアスリートを支える事』

 

その為に、英会話教室に最近通い始めたそうです。

 

【奇跡のリリーバー】と呼ばれた盛田幸希の妻は

夫の生き様を胸に、これからも強く前を向いて生きていました。

 

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