松本智津夫の生い立ちと家族~家族と子供の現在

      2018/07/15

松本智津夫

松本智津夫死刑囚・またの名を麻原彰晃。

23年前に起きた日本最悪のテロ【地下鉄サリン事件】の首謀者でる松本智津夫死刑囚。

松本智津夫は『オウム真理教』という宗教団体の教祖で【麻原彰晃(あさはらしょうこう)】と名乗っていました。

あれだけの事件を起こしながら現在も死刑執行はなされず、奇っ怪な行動をとっています。

そんな松本智津夫(麻原彰晃)の生い立ちと、家族についてまとめます。

⇒麻原彰晃【性の儀式とは?】現在の様子が明らかに!発見時の衝撃画像あり!

 

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事件詳細

ここでは松本智津夫の生い立ちについてまとめたいので、事件詳細に関しては簡単にご説明します。

ご存知の方は次の【麻原彰晃(松本智津夫)について】まで飛ばしてお読み下さい。

1995年3月20日。

営業運転中の地下鉄車両内で化学兵器である神経ガス【サリン】が散布されました。

(地下鉄は現在の東京メトロ、当時の帝都高速度交通営団)

乗客、乗務員、係員、さらには救助に当たった方まで、多くの方が被害に遭い、負傷者数は約6300人。亡くなった方は13人にものぼりました。

今だ後遺症に悩まされる方も多く、日本中を震撼させた最大のテロ事件です。

 

犯人は宗教団体【オウム真理教】

事件から2日後、3月22日に警視庁はオウム真理教が事件に関与していた事が判明し、40人近くの逮捕者が出ました。

 

実行犯の名前と役割

■首謀:麻原彰晃(松本智津夫)

■総括指揮:村井秀夫

■現場調整役:井上嘉浩

■サリン生成:土谷正実・遠藤誠一・中川智正

 

複数人が袋詰にしたサリンを2つずつ持ち、命じられた車両に乗り込むのですが、林泰男のみ3つの袋を持っていました。

(取り調べの際、林泰男の自供により教団が関与したことが決定的となった)

 

扉の付近で袋を先を尖らせた傘で数回突き、サリンをばら撒き犯人は下車

共犯者の用意した車で逃走。

事件は月曜日の朝8時ごろで、通勤ラッシュだった為多くの方が被害にあいました。

当時の状況

突然の急病人に病院はパニック状態に陥り、東京23区に配備される救急車は全て出動するも現場では足りない状況。

入口付近は特に戦場のようであったと語られていました。

軽度の患者は兆候があるにも関わらず、受診を受けず出勤し、多くの方はそれにより症状を悪化させたといいます・・・

 

次は、この様な大量殺人を計画し実行させた首謀犯・麻原彰晃(松本智津夫死刑囚)が、なぜこの様な人格形成になったのか、まとめたいと思います。

 

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麻原彰晃(松本智津夫)について

本  名:松本智津夫(まつもとちづお)

生年月日:1955年3月2日

出  身:熊本県八代市高植本町

両親兄弟:両親、6男3女の11人家族

祖  父:警察官

松本智津夫は4男で第7子として生まれる。

 

生い立ち

では、松本智津夫がどのような環境で育ったのかを見ていきます⏬

先天性の目の病気が多い家系

麻原彰晃の父親は畳職人だったのですが、既に下火になった職業であった為、9人の子供を育てるのは苦労したようです。

さらに子供の何人かは、水俣病の影響で先天性の目の病気を患っており、より生活は大変だったと想像します。

12歳上の長男・・・全盲

4男(麻原)・・・左目が殆ど見えない

5男・・・弱視

松本智津夫の視力は、左目が殆ど見えず、右目の視力は1.0程度だったと言われています。

 

しかし・・・

 

後のインタビューで発覚したのですが、長男の証言で、松本智津夫は水俣病患者としての申請を役所に却下されていたことが分かりました。

 

幼少期

両親は生活に忙しく、松本智津夫は兄や姉を親代わりに育ちます。

 

■1961年:八代市立金剛小学校に入学⇒視覚障害を理由に、同年秋には熊本県立盲学校に転校

さらに寄宿舎に移住することになります。

 

この事から松本智津夫の人生は変わってしまったのかも知れません・・・

 

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松本智津夫は捨てられた?

兄のように全盲ではないのに、何故盲学校に入れられたのか!?

しかも6歳で親元を離れ寄宿舎に入れられる理由は何だったのでしょう?

 

理由として挙げられているのは『口減らし』

つまり家が貧乏だったため、食いぶちを減らす事が目的で盲学校に入れられたというのです。

学費・寄宿舎代・食費も全て不要な盲学校だったようです。

 

本当の理由は分かりませんが、少なくとも麻原彰晃は『親から捨てられた』と思い込んでいたようです⏬

著書:麻原彰晃の聖者誕生

 

寄宿舎ではいじめ三昧

学校では少し目が見える事が有利に働くようで、松本智津夫は他の子供たちを子分扱いにし、暴力で支配していたようです。

■全盲の子供を外へ連れ出し、食事をおごらせ窃盗を命じる

■全盲の子供を相手に落とし穴を仕掛ける。

お金を巻上げたり、欲しいものを買わせていた。

 

この様に、特にお金への執着は異常なほどで、寄宿舎を卒業するまでに同級生への恐喝で300万の貯金があったというから驚きます。

 

余談ですが・・・

小学5年生:児童会長立候補⇒落選

中学校時代:生徒会長⇒落選・寮長⇒落選

高校時代:生徒会長⇒落選・寮長⇒落選

結果は全て惨敗だったようですね。

 

高等部時代

高校時代の担任教師が盲学校時代の報道を聞いてのコメントを出しています⏬

『そういう陰日なたのある人間とは、とても感じられなかった』

『明るい活発な子で、遠足に行くときは見えない子の手をひいてやったりしていた・・・』

先生の前と同級生の前では全く違う人格を見せていたようです・・・

 

成績と進路について

松本智津夫の成績は中程度。

『自分のように病気で困っている人を救う仕事がしたい』

と、熊本大学医学部を目指すのですが、視覚障害者は医師免許が取れず高等部専攻科に進学。

 

その後、鍼灸免許を取得した松本智津夫は、大きな夢を持つようになります⏬

『東京大学法学部卒の自民党の政治家となり、ゆくゆくは内閣総理大臣の座につく』

 

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卒業後の松本智津夫

■1975年3月(20歳)卒業。

 

■1975年3月:東京大学文化1類の受験を目指す為に東京に移住するが、9月には実家に戻り、長男の漢方薬店助手となる。

 

■1976年3月:受験勉強を口実に熊本黒髪町で下宿するが、5月には実家に戻り、長男の店の手伝いをする。

 

■1976年7月:長男の店の元従業員が、兄を侮辱した為頭部を殴打して罰金刑を受ける。

 

結婚と出産

■1977年春(22歳):再上京し、代々木ゼミナール渋谷校に入学するも、東大受験を諦める。ここで嫁・松本知子と出会う。

 

■1978年:嫁と結婚し『松本鍼灸院』を開院⇒わずか8ヶ月ほどで廃院

 

■漢方薬局『亜細亜堂』を開業

 

嫁・知子さんとの間に生まれた子供はなんと6人。

  • 1978年:長女
  • 1981年:次女
  • 1983年:三女
  • 1989年:四女
  • 1992年:長男
  • 1994年:次男


私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ~地下鉄サリン事件から15年目の告白~


止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記

 

相当な苦悩が伺えます・・・

麻原彰晃の娘として生きていくことの厳しさが書かれています。

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次のページでは嫁・松本知子の精神が壊れる様子をまとめました⏬

 

続きはこちら⏬⏬⏬

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