宮崎勤の生い立ちと家族構成・母親と父親との関係~高校や成績について~

      2017/10/12

宮崎勤、生い立ち、家族構成、高校、成績、

現在でもこの事件を思い出すと鳥肌が立ちます。

【宮崎勤事件】。

ここでは、宮崎勤の生い立ちと、家族構成についてまとめたいと思います。

母親と父親、また兄妹や親戚の人生まで大きく変えました。

彼は一体何を考え死刑執行を迎えたのでしょう・・・

 

⇒宮崎勤事件・家族の現在は?母親と父親の現在が悲惨~妹や親戚の末路~

⇒【宮崎勤事件】詳細と時系列~鑑定内容と裁判結果

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宮崎勤の生い立ち

宮崎勤(みやざきつとむ)

生年月日:1962年8月21日ー2008年6月17日

家  族:祖父・祖母・父・母・妹2人

出 生 地 :東京都西多摩郡五月市町(現あきる野市)

 

地元の名士・裕福な家庭だった

宮崎勤は大変裕福な家庭の長男として誕生します。

・曽祖父・・・村会議員

・祖父・・・町会議員

・父・・・地元の新聞会社を経営

 

宮崎勤を育てた2人の人物

宮崎家は母親も働く共働きであった為、産まれて間もない宮崎勤の世話は人に任せるしかなかったようです。

1人は知的障害のある30代の男性を子守として住み込みで雇い入れていたとの事。

そしてもう1人は祖父。

宮崎勤は幼い頃、大変引っ込み思案で、そんな孫を連れて歩き大変可愛がられていたといいます。

宮崎勤が祖父から気にかけられていた理由は、先天性の障害のせいもあったでしょう。

宮崎勤には生まれつき障害があった

未熟児で生まれた宮崎勤には障害がありました。

『両側先天性とう尺骨融合症』という、当時日本で150程しか症例のない珍しい身体障害を負って生まれています。

■症状・・・手首を回せず、手のひらを上に向けられない。

その為、宮崎勤は頂戴のポーズやお遊戯も出来ない事があり、周囲からからかわれる事も多かったといいます。

宮崎勤は上手くいかない事があると掌のせいと考えるようになり、辛い幼少期を送ったと供述しています。

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母親・父親との関係

古き良き日本の文化ではありますが、宮崎家は3世帯が暮らし、祖母がたいそう厳しい方だったようです。

母親は、妊娠中も姑に遠慮し十分な栄養が取れず、臨月になっても畑仕事、3世帯同居の為か夜眠れず、睡眠薬を服用し持病の頭痛の為、鎮痛剤まで使用していたそうです。

 

結局、宮崎勤は未熟児で生まれてしまいました・・・

子供が生まれてからは、母親は宮崎勤の事を『勤ちゃん』と呼び、可愛がるのですが、

姑より『ベタベタするとろくな人間にならない』と言われ、子供を抱くのは夜になってからだったそうです。

 

両親は障害のある宮崎勤をあまりひと目に触れないようにしていたようですね。

また、母親とはよくお喋りをするのに対して、父親が入ってくるとスーと自室にこもり、その事から父親との関係が伺えます。

 

小学生・中学生時代は成績優秀

小学生時代は【怪獣博士】と呼ばれていいます。

中学生になると、1、2年生の時には陸上部に所属し、3年生の時には将棋部でした。

成績は上位で、特に算数(数学)と英語が得意だったようです。

しかしその一方で国語と社会は苦手だったといいます。

とても負けず嫌いで執念深い一面があり、

将棋で負けるような事があると、異常に悔しがり様々な攻略本を読んでは、勝つまで勝負に挑んだといいます・・・

 

異常行動はこの頃から

何十匹ものトンボを捕まえ、自宅の裏の河川敷に座り込み、数時間に渡りトンボの羽を一枚ずつ引きちぎっている所を目撃されています。

噂によれば、カエルやミミズを爆竹を爆発させて殺生していたそうです。

 

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暗く目立たない高校時代

高校は片道2時間もかかる【明治大学付属中野高等学校】へ進学しますが、進学の理由は手の障害を気にしての事でした。

しかし、両親は英語教師になる為と勘違いしていた様です。

高校時代は全く目立たず、同級生も誰も覚えていない程というからかなり影が薄い存在でした。

高校に入ると徐々に成績は落ち、クラスでも下から数えたほうが早い成績に・・・

そんな訳で、希望していた明治大学への推薦入学は受ける事が出来ず、東京工芸大学短期大学部画像技術科に進学しました。

 

この後、就職しますが、最悪の評判です。

また、両親への暴言暴力が始まります。

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